2025/06/27
「失われた歌がつなぐ未来──“民謡リバイバル”とグローバルカルチャー」

かつて農村や漁村の暮らしの中で自然と歌われていた、日本各地の「民謡」。田植えのリズムに合わせた唄、海に出る前の祈りの唄、子守りの合間の子守唄──そうした“暮らしの声”が、いま静かに世界で再評価されている。

ロックやヒップホップのリズムに乗せたアレンジ、サンプリング素材としての再構築、そして原曲のままを伝える伝承活動まで。失われつつあった民謡が、“グローバルカルチャー”の中で新たな命を吹き込まれているのだ。

民謡は“歌う生活”そのものだった

民謡は、プロが舞台で披露する芸能ではなく、もともとは労働の中に自然と生まれた生活の延長だった。重い籠を背負って坂を登るとき、網を引き上げるとき、赤子をあやすとき──息を合わせ、気持ちを整え、仲間と心をつなぐ手段として唄は存在していた。

つまり、民謡とは「生きるリズム」そのものだったのだ。

だが高度経済成長と共に、農村や漁村の暮らしが変わり、そうした“歌の風景”も急速に失われていった。多くの若者は方言に親しむ機会を失い、民謡は「古い」「地味」「年配向け」と見なされるようになった。

若い世代が“再発見”した声の美

しかし、2020年代に入り、SNSやストリーミングを通じて、若い音楽家たちが民謡に新たな視線を向け始めた。民謡の持つ独特の節回し、土着的なリズム、声の力強さに、これまでにない“表現の素材”を見出したのだ。

三味線のビートにエレクトロを重ねるユニットや、津軽民謡をループ素材として使う海外のDJ、地方の高校生たちによるYouTube発信など、“民謡リバイバル”はジャンルや国境を超えて広がっている。

とくに注目されているのが、「唄そのものに宿る土地の声」だ。青森の深い雪、沖縄の潮風、秋田の田園風景──その土地でなければ生まれなかった旋律や言葉が、世界のリスナーにとって“ノスタルジーを超えたリアリティ”として響いている。

“古い歌”が“未来をひらく言葉”になる

民謡には、時代を超えて今を語る力がある。たとえば「ソーラン節」の力強い掛け声、「五木の子守唄」の静かな旋律、どれも労働、子育て、自然への畏敬といった普遍的なテーマを持っている。

海外のアーティストの中には、「民謡はエネルギーの詩だ」と語る人もいる。その土地の言葉、空気、身体の動きが一体となった表現だからこそ、翻訳を超えて“感覚で伝わる”のだ。

また、日本の若者たちの間でも「自分のルーツを知るきっかけ」として民謡が見直されている。祖母から聞いた歌、祭りで口ずさんだ歌が、都市で暮らす中でふと思い出され、「自分の声で歌い直す」という動きも広がっている。

民謡とテクノロジーの共演

民謡の復活を支えているのは、テクノロジーの力でもある。音声アーカイブ、バーチャル三味線演奏、AIによる歌声再現など、地域に残る歌の記録がデジタル化され、だれでもアクセスできるようになってきた。

さらに、バーチャル空間やNFTアートと組み合わせた“デジタル民謡”の実験も行われており、かつて地域に閉じていた歌が、グローバルで再生産される環境が整いつつある。

おわりに──歌は、記憶を越えて届く

民謡は、もはや「昔の人のもの」ではない。それは、いまを生きる私たちが、自分の声で、自分の言葉で“もう一度歌う”ための原点である。

忘れられた歌が、誰かの心を震わせ、遠い国の耳に届く。その瞬間、民謡は「懐かしさ」ではなく、「未来の共通語」になるのだ。