「歌は生きものだ。歌い継がれなければ、風化してしまう」
そう語るのは、ニューヨークを拠点に活動する邦楽シンガー・真理子氏。彼女は近年、日本のわらべ歌や民謡、昭和初期の叙情歌など、“口伝えで残されてきたうた”を海外で収集・翻唱し、記録・発信するプロジェクトを進めている。
高度にデジタル化された現代にあって、アナログな“うたの記憶”が失われようとしている今、日本出身のアーティストたちが「うたを遺す」ために立ち上がっている。
消えゆく「記憶のうた」
わらべ歌や子守唄、地方の祝い歌や労働歌──これらは楽譜に残されず、音源もないことが多い。誰かが覚えていて、歌い継いでこそ生き残ってきた“口伝え文化”の一部だ。
しかし、都市化と高齢化が進んだ日本の多くの地域では、これらのうたを知る人が年々減っている。録音されていない歌は、歌い手が亡くなると同時に、音ごと消えてしまうのだ。
その現実に直面した日本人アーティストたちが、あえて“海外から”保存のアクションを起こしている。
海外だから見える「日本のうた」の価値
真理子氏は、渡米後にアジア系移民の間で歌い継がれている「故郷(ふるさと)」や「さくらさくら」に触れ、日本の歌が“他者の記憶”として丁寧に扱われていることに驚いたという。
「日本ではもう誰も歌わない童謡を、台湾系や韓国系の方が敬意をもって教えている。その姿勢に胸を打たれました」
そこから彼女は、失われつつある日本の地方歌を各地から集め、英語字幕や文化解説とともに海外向けに発信する活動を始めた。「他国での“再発見”が、母国での“再評価”につながる」と語るその姿勢は、多くの共感を呼んでいる。
アーカイブからライブへ──記録して、届ける
現在、多くのアーティストがYouTubeやポッドキャスト、国際フェスティバルを活用して、歌の保存と同時に“発信”も行っている。
あるアムステルダム在住の和楽器奏者は、東北の祝い歌を現地のミュージシャンと共に再編曲し、ライブで演奏。その模様は録音され、映像アーカイブとしても残されている。
また、在欧日本大使館や文化センターが開催する文化イベントでは、日本の古い歌を軸にしたトーク&ライブ形式のプログラムが組まれることも多く、学術と芸術の両面から「日本の歌文化」が再発見されている。
歌うことは、“未来のための翻訳”
こうした保存活動では、単に“過去を残す”だけではなく、「どう伝えるか」も重要なテーマとなる。歌詞の意味、地域の背景、リズムの成り立ち、歌われていた情景──それらを他言語でどう表現し、どう心に届かせるか。
活動に関わるアーティストたちは、自ら翻訳や再解釈を行い、歌詞に脚注を加えたり、映像で解説を添えたりと、文化的“翻訳者”としても役割を担っている。
あるシンガポールの日本語教師は、「子守唄を通じて、母音の響きや語順、感情の在り方まで教えることができた。歌は生きた日本語教材です」と話す。
おわりに──“うた”は語り続ける
言葉では伝えきれない感情や、生活のリズム、土地の風景を内包した“うた”は、単なる音楽ではない。それは、その土地に生きた人々の“心のかたち”そのものである。
だからこそ、歌い継がれることで過去と現在がつながり、未来に“文化の記憶”が受け渡される。海外でその橋渡しを担うアーティストたちの活動は、静かだが確かな希望となって広がっている。
失われる前に、声にする。忘れられる前に、耳に届ける。
それは、“うた”が人と人をつなぐ、本来の力を取り戻すための、ささやかで力強いアクションなのだ。