七五三、初節句、入学式、お宮参り──日本の暮らしには、子どもの成長を祝う「ハレの日」が節目ごとに用意されている。普段の生活を意味する「ケ」に対し、「ハレ」は特別な日を意味する日本独自の考え方だ。
この「ハレの日」の積み重ねは、単なる行事の集合ではない。子ども自身にとっても、そして家族にとっても、“人生の物語”を形づくる貴重な時間である。
祝いの原点は「生きていること」そのもの
日本の子ども行事の根底には、「無事に生まれてきてくれてありがとう」「ここまで元気に育ってくれてありがとう」という、素朴で根源的な祈りがある。
お宮参りでは、生後1か月の赤ちゃんが神社で氏神様にご挨拶をし、初節句では性別ごとに健康と成長を願う飾りを用意する。どれも“当たり前”のように思えるが、その一つひとつが、「いまこの命がここにある」ことを実感するための大切な区切りだ。
病気や災いが多かった昔の日本では、子どもが無事に育つこと自体が奇跡に近かった。だからこそ、わずかな節目ごとに「祝う」文化が育まれてきたのだ。
子ども自身が“記憶”として受け取る行事
近年では、七五三や入学式、卒園式などを「写真を撮るだけのイベント」と捉える人も増えているが、子どもにとってはその体験そのものが「記憶の扉」として残る。
着物を着せてもらった日のこと、慣れない草履で歩いた神社の参道、家族で食べたお祝いのごちそう──そうした断片的な思い出は、大人になったとき「自分がどんなふうに大切にされてきたか」を思い出す糸口になる。
そしてそれは、自己肯定感や家族への信頼感といった“心の基礎”となって、人生の土台を支えるのだ。
“衣・食・住・祈”がそろうからこそ深まる
ハレの日には、いつもと違う服を着る(衣)、特別な料理を食べる(食)、飾りやしつらえで空間を整える(住)、神社に参拝したり、祖先に手を合わせたりする(祈)──こうして「衣・食・住・祈」が一体となることで、行事は単なる“イベント”ではなく“体験”となる。
とくに日本の行事では、自然との関係性が色濃く残っている。節句に登場する花や草、料理の素材、飾りの形には、すべて意味と物語が込められており、子どもたちは無意識のうちに「自然と共に生きる感性」に触れることができる。
海外でも広がる“家族のリズム”としての行事
最近では、海外に住む日本人家庭でも、七五三や節句を現地のスタイルに合わせて祝うケースが増えている。現地の花や食材を使い、写真や動画を通して祖父母とつながることで、“形を変えても心は受け継がれる”という新しいハレの日のかたちが広がっている。
また、日本文化に関心を持つ外国人の家庭では、「子どもの成長を記録する節目」として、日本の行事を取り入れる動きも見られる。
行事は国境を越えて、「子どもを祝うことの大切さ」「家族で時間を共有することの喜び」を改めて教えてくれる。
おわりに──小さな節目がつなぐ、人生の大きな物語
子どもの行事は、いつも静かに暮らしに寄り添いながら、家族の歴史を彩ってくれる。何気なく過ぎていく日々の中で、「特別な一日」があることで、人生にリズムが生まれる。
飾りを整え、祈りを捧げ、お祝いの食事を囲む。たったそれだけのことが、子どもの記憶に深く刻まれ、やがて大人になったとき、「自分の歩みは、こんなふうに見守られてきたのだ」と気づく日がくる。