深い森に差し込む柔らかな光。畳の部屋に流れる静かな時間。風に揺れる草原と、そこを走り抜ける少女の後ろ姿。スタジオジブリ作品に描かれる“風景”は、どれも静かで、やさしく、どこか懐かしい。そして今、この風景に憧れ、影響を受けた海外のクリエイターたちが、次々と自らの作品の中に「ジブリ的なるもの」を取り込もうとしている。
ただしそれは、かつての“模倣”ではない。ジブリが描いた“心の風景”へのリスペクトとして、文化や表現の枠を越えて丁寧に受け継がれ始めている。
「なにも起きない」が描ける贅沢
ジブリ作品が他のアニメと大きく異なる点として、ストーリーの合間に置かれた“無言の時間”がある。『となりのトトロ』のバス停の場面や、『千と千尋の神隠し』で列車に揺られるシーン──物語の進行とは直接関係しないが、観る者の記憶に深く残る風景だ。
この“間(ま)”をあえて設ける手法に、欧米のアニメーターや映画監督たちは大きな影響を受けている。米国の人気アニメ『スティーブン・ユニバース』のクリエイターは、「宮崎駿の作品に出てくる“静けさ”が、私にとってのヒーローだった」と語っている。
つまり、派手な演出や台詞よりも、“静かな風景”こそが感情を語る──それを教えてくれたのがジブリだった。
「風景」がキャラクターになる発想
ジブリ作品では、自然や町並みが単なる背景ではなく、登場人物と同じくらい重要な存在として描かれる。『魔女の宅急便』のヨーロッパ風の港町や、『紅の豚』のアドリア海の空と海、『もののけ姫』の深い森──それぞれの世界に固有の“気配”が息づいている。
この考え方は、近年のインディーズ系アニメーションやゲームデザインにも強い影響を与えている。たとえば、カナダ発のゲーム『スピリットフェアラー』や『Eastward(イーストワード)』では、風景そのものが物語を動かす力を持っている。ジブリのように、“見ているだけで世界に引き込まれる”設計が意識されているのだ。
模倣から“自分の物語”へ
過去にはジブリ風のキャラデザインや作画スタイルをそのまま真似た「模倣的作品」も多く見られたが、今の海外クリエイターたちは、“形”ではなく“精神”を受け継ごうとしている。
それは、スローテンポの物語構成、生活音の使い方、自然との距離感、登場人物の内面描写など、ジブリが長年大切にしてきた“心の文法”のようなもの。これをベースに、彼ら自身の文化や物語を重ねることで、新しい作品が生まれている。
たとえばフランスの短編アニメ『Maman Pleut Des Cordes(雨の中のママ)』では、自然と母子の静かな関係が、まるでトトロのような温度感で描かれているが、テーマはあくまで“フランスの家庭の話”だ。つまり、「ジブリを通じて、自分の世界を描く」という段階に移っている。
“憧れ”が対話になるとき
ジブリ風の背景画を描く海外イラストレーターや、ジブリ風アニメを研究する学生も年々増えている。YouTubeやTikTok、アート系SNSでは「ジブリに影響を受けた○○」というタグが日々更新されており、それぞれの国の表現が“ジブリ的感性”を通じて再解釈されている。
このような広がりの中で、“ジブリ=日本”という一方的な関係ではなく、「ジブリが生んだ価値観」を起点に、世界の表現者たちが対話し始めている。
それは「真似する」から「共鳴し合う」関係へと、静かに進化しているのだ。
おわりに──風景の記憶が、創造をつなぐ
スタジオジブリの風景は、ただ美しいだけではなく、見る者の心に“居場所”をつくってくれる。そこには、他者を理解し、静けさに耳を澄ます“まなざし”が宿っている。
世界中のクリエイターがその風景に憧れ、そこから自分の物語を語り出すとき、それは文化の一方通行ではなく、記憶と創造をめぐる“対話のループ”になる。