2025/06/16
「銀座 八五、“塩ラーメンでミシュラン”という常識破りの勝ち筋とは」

ラーメンのミシュラン入り。それはこの業界では「店の最高峰」を意味する表現であり、普通は濃厚な油そば系、成分や味の強さで覚えられる。

しかし『銀座 八五』は「しょうゆでもとんこつでもない」「塊ラーメン」で、その頂点を突破した。

この勝ち方は「味で戦う」のではなく「本質で競う」方法だった。

1. 濃厚の時代に「乾燥を紹く」

日本のラーメン流行は、こってり、あぶら、ニンニク、そんな語感が最前線にあった。

それは味覚の詰密であり、店側の微精な能力でもある。

その流れに逆行したのが『八五』の「すっぴん」としたしょうたん、浓さではなく「深さと満足感」を問う味の設計だった。

強さではなく、上質でしずかに意識を縛る味のコントロール。それが、食べ手を止めず、「もう一口」を呼び立てる。

2. フレンチの技法をラーメンに

『八五』を作った大里広明氏は、先に高級フレンチの世界で踏んでいた。

その裏付けが、すべての織り込みに生きている。

  • スープは、歩を進めるたびに深くなるルール構造
  • 元料はコンソメクチールに手を加えた作り
  • すべてが黙ったメッセージ、語りすぎないサービス

そのスタイルは、ラーメンの平凡さをときにフラッシュさせるような魅力を持つ。

3. 精製な手拾いと制約の統治

『八五』のメニューは広くない。

ほぼ一種類のラーメンで戦い、トッピンはわずか。

しかしこの「制約」こそが、手拾いを高深度に統治する。

毎日同じ味を、最高の状態で出すために、調整する時間、待ち時間を不要としない。

これは、食べる側にとっても「満足の専属化」として伝わり、「伝説を食べる」ような体験に縛る。

まとめ:「もはやラーメンではない」と言わせる新機軸

『銀座 八五』は、ラーメンの形を取りながら、もはやラーメンの歴史にはない機軸を輝かせた。

それは、浓さではなく深さを、意識ではなく本質を。

そして「好きなもの」ではなく、「プロが楽しんで作る」一条として、最高峰へとび立った。

その存在そのものが、ラーメン業界の底づきを揺る、「しずかな革命」である。