「夕食つき」とだけ書かれていた予約画面。特に期待せずに訪れた日本の旅館で、その夜、思いがけない体験をした。部屋に案内され、浴衣に着替え、温泉に浸かったあと。静かに扉が開き、仲居さんが運んできてくれた夕食は、想像を遥かに超える“フルコース”だった。ひと皿ずつ丁寧に並べられていく料理を前に、思わず言葉を失った。
まず目に飛び込んできたのは、盛り付けの美しさだった。季節の花や葉、器の色彩、食材の切り方に至るまで、すべてが計算されているように見えた。小さな皿に彩りよく並べられた前菜は、まるで一枚の絵画のよう。ほんの一口で食べられる量なのに、その存在感は圧倒的だった。
続いて運ばれてきたのは、地元の野菜を使った椀物。出汁の香りが立ち上り、蓋を開けた瞬間に湯気とともに広がる香りに心がほどけていく。味は繊細で、余計なものが一切入っていないのに、素材の力だけでこんなに深い味わいになるのかと驚かされる。
その後も、焼き物、煮物、蒸し物、揚げ物と、まさに和食の技術を詰め込んだコースが続いていく。どの料理も主張しすぎず、それでいて一皿ごとに個性があり、見た目・香り・食感・味のすべてが丁寧に設計されている。とくに、旬の魚を炭火で焼き上げた一品は、皮はパリッと、身はふわりと仕上がり、箸を入れた瞬間にその火入れの巧みさが伝わってきた。
食事のテンポも心地よく、仲居さんが程よい間隔で次の料理を運んでくれる。料理について簡単な説明が添えられ、「この器は信楽焼です」「こちらは地元の山菜を使っています」などの一言が、料理に深みと物語を与えてくれる。食べるという行為が、味わうだけでなく“感じる”体験になる。
白ごはんとお味噌汁が運ばれてくるころには、すでにお腹は満たされていたが、最後まで一口も残さずに食べた。炊き立てのごはんは粒が立ち、香りが甘い。味噌汁はほんのり優しく、食後の余韻をさらに整えてくれるようだった。そして最後に出された水菓子(デザート)は、季節の果物を使った冷たい一品。舌にすっとなじみ、すべての料理の締めくくりとして完璧だった。
旅館の夕食は、ただの食事ではなかった。空腹を満たすというよりも、心をほどき、文化に触れ、静かに感動する時間だった。調理の技術、素材への敬意、器の選び方、提供の間合い。すべてが一体となって生まれる“おもてなし”のかたちに、日本の美意識の深さを感じた。
旅の醍醐味は、風景や建物だけではなく、こうした五感を通じた体験にもある。あの夜、旅館の畳の上でいただいた夕食は、写真には残っていないけれど、心の中では今でも鮮やかに記憶されている。
次に日本を訪れるときも、旅館での食事は外せないと思っている。料理は言葉を超えて、その土地の空気や人の想いを伝えてくれる。そして、それがどれほど贅沢なことかを、旅の終わりに静かに教えてくれる。あの夕食は、まさに芸術だった。