2025/07/03
日本の電車、静かすぎてカルチャーショック受けた

初めて日本の電車に乗ったとき、最初に感じたのは「静けさ」だった。走行音こそあるものの、車内には会話や音楽、通話の声がほとんどない。混雑していてもざわめきがない空間に、思わず「これが本当に公共交通機関なのか」と疑ってしまったほどだった。

朝の通勤時間帯、東京の地下鉄に乗った。満員にもかかわらず、人々はスマートフォンを操作したり、本を読んだり、静かに目を閉じたりしている。誰も声を上げず、笑い声も聞こえない。中にはイヤホンすら使わずに、ただじっと外を眺めている人もいた。車内放送とドアの開閉音だけが響く空間は、まるで図書館のようだった。

この“静寂”は、単なるマナーの問題ではなく、日本独自の社会的な意識の表れだと感じた。自分の時間を大切にしながら、他人の時間も邪魔しない。公共空間では「周囲と調和する」ことが最優先されるという価値観が、日常のふるまいとして根づいている。だからこそ、電話を控える、話し声を抑える、音漏れに配慮することが自然に実践されている。

最初のうちは、自分のくしゃみでさえ気を使うほど、その静けさに圧倒された。でも数日も経つと、この環境がとても心地よいものに思えてくる。移動の時間が、自然と思考の時間や休息の時間に変わっていく。誰にも邪魔されずに考え事ができ、景色を見ながら気持ちが整理されていく。その静けさは、旅の中で一息つける大切な空間となった。

また、車内の清潔さにも驚かされた。ゴミが落ちていないのはもちろん、座席や手すり、床まで丁寧に手入れされている様子がうかがえる。乗客もそれを当たり前として受け入れており、座席に足を上げたり、飲食をしたりする人はほとんど見かけなかった。静かさと清潔さ。その両方が合わさって、電車内は“移動する休憩室”のように感じられた。

地方のローカル線でも同じような空気が流れていた。乗客同士が静かに会釈を交わし、誰かが話すときも声を落としている。時には車窓の景色が話題になることもあるが、それすらも穏やかで優しい声のやりとりだ。風景を見ながら過ごす静かな時間は、日本の旅の醍醐味のひとつだと実感した。

もちろん、全ての電車が完全に静かなわけではない。観光列車や一部の特急列車ではアナウンスや歓声もあるし、週末の夜の路線では賑やかなグループと出会うこともある。でも、それでもどこか節度があり、基本のマナーは変わらない。多くの人が「ここではこうする」という共通認識を持ち、それを守ろうとしていることが伝わってくる。

この静けさに慣れたころ、ふと気づいた。日本の電車は、移動手段であると同時に、社会そのものを映す“鏡”のような存在だということ。見た目は同じように見えても、その中で流れている時間や意識は、他の国とはまったく異なるものだった。

次に日本を訪れるときも、きっとまたこの静かな電車に乗りたくなるだろう。イヤホンを外して、車窓を眺めながら過ごす時間。その静けさの中でしか出会えない“自分との会話”が、そこにはあるからだ。日本の電車は、音がないことで、旅の音をより鮮明に響かせてくれる。