日本を旅していて最も印象的だったことのひとつが、人との関わり方だった。丁寧で親切、だけど必要以上に踏み込んでこない。そうした接し方に最初は少し戸惑いもあったが、気づけばその“ちょうどいい距離感”が心地よく感じられるようになっていた。
空港に到着してすぐ、案内スタッフが軽く会釈をしてくれた。そのあと乗った電車でも、混雑しているにもかかわらず周囲の人々は静かに自分の時間を過ごしている。レストランでは、注文のやりとりが終わると静かに離れ、必要なときにだけさっと現れてくれる店員さん。どの場面でも「丁寧だけど押しつけがましくない」接客が自然に行われていた。
観光地では、「何かお困りですか?」と声をかけられることもあれば、こちらから助けを求めるまで静かに見守ってくれる場面もある。過度にフレンドリーではないが、決して冷たいわけでもない。このバランスが、日本の“おもてなし”を支えているのだと感じた。
言葉の壁があっても、身振りや笑顔、会釈などの非言語的なやりとりがとても豊かだということにも気づかされた。駅で道を尋ねたとき、一生懸命アプリを使って説明してくれた人。バスの中で席を譲ろうとしたら、静かに手を振って断りながら微笑んでくれた人。そんな場面に何度も出会い、そのたびに「気持ちが通じ合うってこういうことなんだ」と思わされた。
旅の途中、ふと一人で街を歩いているときも、不思議と安心感があった。人はたくさんいるのに、騒がしくない。距離はあるのに、孤独ではない。誰かと話さなくても、街全体がやさしく包み込んでくれているような感覚。それは、他人との間に“空気を読む”文化があるからこそ生まれる心地よさだった。
また、日本人の礼儀正しさは、表面的な所作だけでなく、相手への配慮として根づいていることにも感動した。電車でスマートフォンの音を消す人、会話を控える人、ゴミを持ち帰る人。誰かに見られているからではなく、「誰かの迷惑にならないように」と考えるその姿勢に、深い文化的な価値観を感じた。
もちろん、日本人全員が同じとは限らないし、時にはそっけなく感じる場面もある。でも、それもまた「相手の空間を尊重する」という考え方の表れなのかもしれない。旅人である自分に対しても、その距離感は変わらず、押しつけもなければ演技もない。だからこそ、かえって安心できた。
「優しさ」は、声の大きさや身振りではなく、相手のことを想って行動すること。日本の人々との出会いを通して、その本当の意味を体感した気がする。強く主張せず、そっと背中を押してくれるような接し方が、旅を静かに支えてくれていた。
次に日本を訪れるときも、この心地よい距離感の中にもう一度身を置きたいと思う。礼儀正しさは堅苦しさではなく、やさしさのかたちでもある。言葉にしなくても、深く伝わる思いやり。それが日本の人々との関係を、あたたかく、安心できるものにしていた。