日本の神社を訪れると、境内の一角に色とりどりの小さな袋や木の板が並ぶ光景をよく目にする。お守りと絵馬である。最初は「かわいいから買ってみよう」「記念になるから書いてみよう」と軽い気持ちで手に取ったが、そのひとつひとつに込められた意味と、長く続いてきた文化の深さを知ると、自然と背筋が伸びるような思いがした。
お守りは、日本語で「まもり」と読むように、身につけることで“守られる”ことを願って持つもの。小さな布の中には祈願された紙や木片などが入っており、健康、学業、交通安全、恋愛成就、安産、仕事運など、種類も実に多彩だ。神社によってデザインや色も異なり、訪れた場所ごとの特色が表れている。
旅の途中で立ち寄った神社では、季節限定の桜柄のお守りが並んでいた。手のひらサイズのやわらかな袋に、丁寧に縫われた花模様。美しいだけでなく、その裏側には「この土地の神様が見守ってくれますように」という、静かな祈りが込められていた。お守りはただの“お土産”ではなく、その場所に宿る目に見えない存在と、自分との小さなつながりを象徴するものなのだと気づかされた。
一方、絵馬は木製の小さな板に願いごとを書いて奉納する風習。かつては神様に馬を奉納していた名残が“絵の馬=絵馬”として現在の形になったという。境内の絵馬掛け所には、さまざまな言語で書かれた願いが風に揺れている。誰かの受験合格を願うもの、家族の健康を祈るもの、旅の安全を記すもの。そのどれもが、まっすぐな気持ちで書かれた言葉ばかりで、見ているだけで胸が熱くなる。
自分も一枚、絵馬に願いごとを書いてみた。願いを書くという行為は、思っていた以上に心が整う。具体的な言葉にすることで、自分が今何を大切にしているのかが見えてくる。旅の中でふと立ち止まり、静かに文字を書く時間は、それだけで価値があった。
絵馬のデザインも神社によって異なり、干支、植物、伝統行事、地域のモチーフなどが描かれている。かわいらしい動物のイラストや、シンプルな木目の板まで、さまざまな絵馬がある。気に入ったものは持ち帰ってもよく、部屋に飾れば、旅先の記憶をそっと思い出させてくれる。
また、お守りや絵馬は“持って終わり”“書いて終わり”ではなく、そこに込めた思いを日々の中で思い出すことで、その価値が育まれていくように感じる。バッグに入れたお守りを見るたびに、旅先で感じた空気や、そのときの自分の願いがふっとよみがえる。忘れかけていた小さな希望が、再び背中を押してくれるような気がする。
神社のお守りと絵馬には、形式を超えた“思いを託す力”がある。日本の文化に初めて触れる旅行者にとっても、それは難しい儀式ではなく、ごく自然にできる心のやりとりである。神様が実在するかどうかではなく、自分の願いと向き合うその時間こそが、旅の大切な一部になるのだと思った。
次に日本を訪れるときも、きっとまたひとつお守りを手に取り、絵馬に願いを書くと思う。それは、風景でも料理でもなく、“心の中に残る旅の証”として、ずっとそばにいてくれる。静かな祈りが、旅の余韻として続いていく。