日本の麺文化において、「音を立てて食べる」ことはマナー違反どころか、むしろ“美徳”として歓迎される側面すらある。とりわけそばやラーメンといった汁物の麺料理では、「ズルズルッ」と勢いよくすする音が、食べる人の満足感や料理へのリスペクトとして受け取られることが少なくない。この“ズルズル文化”は、日本の食卓に深く根ざした、世界でも珍しい食作法だ。
音を立てて食べることへの肯定感は、そば文化と密接に関係している。そばは香りが命とされており、口に入れる際に空気と一緒に吸い込むことで、鼻に抜ける香りをしっかり感じることができる。すなわち、「音を立てる=香りを楽しむ」という理屈が成立しているのだ。もともと日本料理は「味覚」だけでなく「嗅覚」や「聴覚」も重視する傾向があり、ズルズルという音も、食の臨場感を構成する一要素とされている。
また、ラーメン文化の中でも、勢いよくすする行為は“うまそうに食べる”という表現のひとつだ。ラーメン店では、食べるスピードと音のバランスによって、「この人はラーメンをわかっているな」という無言の共感が生まれる場面さえある。湯気の立つラーメンを冷ます効果もあるため、効率的であり、しかも熱いうちに味わうという点でも理にかなっている。
しかし当然ながら、これは世界共通のマナーではない。欧米やアジアの多くの国では、食事中に音を立てることは“無作法”とされ、特に公共の場では慎むべき行為と考えられている。そのため、日本の麺文化に初めて触れる外国人が戸惑うのも無理はない。静かに食べようとするあまり、麺を途中で噛み切ってしまう姿は、日本人から見ると“惜しい”と感じられることさえある。
こうしたギャップを埋めるために、日本の一部の飲食店では「音を立てても大丈夫です」という案内を英語で掲示するケースも見られるようになった。また近年では、「ヌードル・ハラスメント(ヌーハラ)」という言葉も登場し、文化の違いを配慮する動きも広がっている。
ただし、“音を立てて食べる”ことが常に歓迎されるわけではない。洋食や家庭での食卓、フォーマルな会食では静かに食べるのが望ましいという場面ももちろん存在する。つまり、ズルズル文化は「すする料理」「場所」「空気感」によって自然と選ばれている、日本ならではの“場の感覚”と密接に結びついているのだ。
日本の食文化は、音さえも味の一部とする繊細な感性を持っている。ズルズルとすする行為は、単なる食べ方ではなく、料理との“対話”とも言える。慣れないうちは戸惑いを覚えるかもしれないが、思い切って音を立ててみることで、その土地ならではの味わい方が、より深く体に染みてくるだろう。