料理の原点とは何か。現代の厨房には多機能な調理機器が並び、精密な温度管理や科学的な分析が当たり前となった今、それでもなお、人の記憶に強く刻まれるのは、火の音、煙の香り、そして直感的な手ざわりが伴う、原始的とも言える調理体験である。その典型例として、日本の南国・高知で受け継がれてきた“鰹のたたき”がある。
「たたき」とは、魚の表面だけを強火で焼き、香ばしく仕上げたのち、内部は生のまま残すという調理法のこと。もともとは、庶民が手に入りやすい魚でありながら、傷みやすく扱いの難しい鰹を、美味しく安全に食べるために編み出された知恵の結晶だ。そして、この調理法を象徴するのが、藁焼きという手法である。
藁焼きは、乾いた稲藁に火をつけ、鰹の表面を一気に高温で焼き上げる調理法。藁の燃焼温度は非常に高く、短時間で魚の表面に香ばしい焼き目をつけることができる。炎は一気に立ち上り、パチパチと音を立てて燃える。煙は勢いよく立ち上り、鰹の表面に自然の芳香をまとわせていく。手際よくひっくり返しながら焼く作業は、まるで火と人と素材が一体となるような、ダイナミックな時間である。
藁の香ばしさと鰹のうま味が重なった“たたき”は、見た目にも美しく、表面は香ばしい茶色、中は鮮やかな赤身が際立ち、切り口には微細なグラデーションが生まれる。薬味には、たっぷりの刻み葱、にんにく、しょうが、塩、酢などが添えられ、土佐ならではの酸味と香味の強い組み合わせが、力強い味をさらに引き立てる。
この料理が魅力的なのは、火と煙という人間の原始的な調理手段が、現代でもそのまま活きていることにある。藁焼きの火は、電気やガスとは異なり、均質でも安定でもない。その場の湿度や風、藁の乾燥具合によって炎の大きさも温度も変わる。だからこそ、職人は五感すべてを使って火と向き合う。視覚で炎を見つめ、音で焼き具合を聞き、香りで仕上がりを確かめる。温度計やタイマーでは測れない、「勘」と「経験」の世界がそこにある。
さらに注目すべきは、この調理法が地域の風土に深く根ざしている点だ。高知は、太平洋に面し、黒潮の恩恵を受けた漁場を持つ。鰹はこの地で春と秋に回遊し、人々の食卓に欠かせない存在となってきた。海からあがったばかりの鰹を、すぐに焼いて食べるという行為は、漁村の暮らしそのものの延長線上にある。
また、稲作文化と深く結びつく「藁」を燃料とすることにも意味がある。藁は本来、農業における副産物であり、畑の敷き藁や家畜の飼料として使われるものであった。その藁を燃やして火を起こし、海からの恵みである鰹を焼く。つまり、山・田・海の資源が一皿の中に共存しているという点で、“たたき”はまさに高知という土地の縮図とも言える。
この料理が今日もなお支持され、親しまれているのは、単なる郷土料理を超えて、原始的な「火を操る喜び」と、「素材に正面から向き合う姿勢」が体験として残っているからだ。現代の料理が、どこか道具や機械に任せる方向へと進んでいる中で、この料理は、人間の身体感覚と技術の原点に立ち戻らせてくれる。
“たたき”は、食べる人にとっても五感のすべてを刺激する料理である。口に運ぶとまず、香ばしさが鼻を抜け、すぐに鰹の赤身の甘みと旨味が舌に広がる。その後、にんにくや葱の刺激が追いかけ、塩や酢が味を引き締める。そして、余韻にはほんのりと煙の香りが残る。そこには単なる「味」ではなく、「時間と手ざわり」の記憶が刻まれている。
また、こうした伝統的な調理法が、現代の食文化や観光資源として再評価されていることも注目に値する。料理人たちは、この原始的な火の魅力を再解釈し、より洗練されたプレゼンテーションとともに、国内外に発信している。伝統は変わらずに残るものではない。手ざわりと精神を残しながら、伝え方を変えることによって、未来へと継承されていく。
火と煙という原始の技法に立ち返ることで、私たちは料理の本質を思い出す。食材に対する敬意、手を動かす喜び、そして味わう時間の豊かさ。“鰹のたたき”は、ただの郷土料理ではなく、食の原点を呼び覚ます「体験」として、今も静かに息づいている。