飲食店のメニューや精肉店のPOPで見かける「A5ランク」の表示。それは、和牛が最上級の品質であるという一種の“ステータス”として広く認識されている。しかし、この「A5」という格付けが、果たして和牛本来の魅力や価値を正しく伝えているのかと問われれば、答えは一概には言えない。格付け制度は合理的な判断指標である一方で、生産者・流通業者・消費者の三者にとって、かえって“誤解”や“偏り”を生む原因となっている側面もある。和牛業界の根幹にある格付け制度が抱えるジレンマについて、表層では見えない構造を掘り下げてみたい。
現在、日本で主流となっている格付け制度は、公益社団法人による「枝肉取引規格」に基づいている。ここではまず「歩留等級(A・B・C)」が定められ、次に「肉質等級(5〜1)」によって細かく評価がなされる。歩留等級は、枝肉からどれだけ商品価値のある部位が取れるか、すなわち収益性の観点で評価されるもので、Aが最も効率的とされる。一方の肉質等級は、霜降りの度合い、肉の色つや、締まりときめ、脂肪の質といった複数の要素から総合的に判断され、5等級が最上とされる。
この仕組み自体は、あくまでも“取引上の基準”であり、食肉としての品質を一定の基準で可視化することに大きく貢献してきたことは否定できない。だが問題は、その評価項目のなかで「霜降り(脂肪交雑)」が非常に重視されている点にある。とくに肉質等級を決める大きな要素である「BMS(ビーフ・マーブリング・スタンダード)」の評価においては、サシの入り方が大きなウエイトを占める。結果として、脂の入り具合が美しい牛肉こそが“良い肉”であるという価値観が業界全体に強く根付いてしまった。
だが一方で、近年の消費者は必ずしも「脂が多い肉=美味しい肉」と考えているわけではない。実際に、脂肪分の少ない赤身肉や、噛み応えのある肉質に魅力を感じる層も増えており、とくに健康志向や年齢層の高い顧客にとっては、A5ランクの肉が必ずしも“最適”とは言えない場面が多くなっている。つまり、格付け制度が重視する基準と、消費者が求める本質的な「おいしさ」や「食体験」とのあいだに、ズレが生じているということである。
生産者側にとっても、この格付け制度はしばしば大きなプレッシャーとなる。サシを最大限に引き出すためには、高カロリーな飼料や長期の肥育が必要になり、経済的にも環境的にも負担が大きい。さらには、格付けに偏重するあまり、あえて脂を多く乗せることに特化した育て方が求められ、個体本来の健康状態や風味の多様性が軽視されるという声もある。格付けのランクが取引価格を大きく左右する現実がある以上、採算を重視せざるを得ない生産者にとっては、評価軸に沿う生産手法から抜け出しづらくなっている。
さらに深刻なのは、格付けが枝肉の状態でしか判断されないという点だ。つまり、その牛が生きていたときの飼育環境、ストレスの少なさ、飼料の質、風味や香りといった「食卓で感じられる価値」は評価対象外なのである。例えば、牧草主体のナチュラルな肥育を行い、脂肪よりも肉そのものの味を大切にした牛は、格付け上では高評価を得にくい。結果として、味の多様性や個性が評価されづらく、個性的な挑戦をする生産者が市場で不利になる構図が生まれてしまっている。
こうした背景から、一部の地域や流通業者、生産者のあいだでは、既存の格付けとは異なる独自の評価基準や販売ルートを模索する動きが出始めている。たとえば、「脂ではなく肉本来の味で勝負する和牛」や、「牧草主体で育てた牛肉専門のブランド」などが登場し、格付け以外の価値で消費者に訴求しようという動きが活発化している。特に輸出市場では、和牛=霜降りという固定観念を持たない層も多く、肉の個性や物語性に重きを置いた評価軸が徐々に広がりを見せている。
和牛が世界的に認められている理由は、単なる“脂の美しさ”ではなく、きめ細かな飼育管理や日本独自の畜産哲学に裏打ちされた「深い味わい」にある。にもかかわらず、現行の格付け制度がその本質の一部しか捉えられていないとすれば、それは業界全体のブランディングにも長期的な影響を与える可能性がある。
“A5”という記号だけでは測れない、和牛の本当の価値。業界が抱えるこのジレンマに目を向け、消費者・生産者・流通関係者それぞれが新たな価値観を共有していくことこそが、これからの和牛文化を持続可能にしていく鍵になる。格付け制度の内側にある緻密な構造と、その限界を知ることは、私たちが「何を食べたいのか」を問い直すきっかけにもなるはずだ。