2025/06/16
月に1回の和牛オークションで何が起きているか──兵庫県・但馬家畜市場の舞台裏

日本の高級和牛の代名詞ともいえる「神戸牛」。その源流にあたる但馬牛の取引が行われるのが、兵庫県にある「但馬家畜市場」である。ここでは月に1度、全国から関係者が集う和牛のオークションが開かれ、出荷される子牛の一頭一頭に対して真剣な駆け引きが繰り広げられる。華やかさとは無縁の静かな山間にあるこの市場で、和牛ブランドの“始まり”が日常的に行われている。その現場には、血統、目利き、価格形成、そして畜産文化そのものが凝縮されている。

但馬家畜市場のオークションは、単なる牛の売買にとどまらない。ここに並ぶのはすべて、兵庫県内で生まれ育った純粋な但馬牛の子牛たち。月齢およそ8〜10か月で出荷され、市場では個体ごとの情報──血統、性別、体格、月齢、ワクチン履歴など──が丁寧に掲示される。買い手はその情報をもとに、将来の肉質や繁殖能力を見極めながら価格を判断する。

なかでも注目されるのが「血統」である。和牛、とくに但馬牛においては、父親(種雄牛)の系統が価値に直結する。現在の市場では、特定の種雄牛に人気が集中する傾向が強く、その子どもたちは他の個体よりも数万円〜数十万円高く取引されることもある。これは、すでにその血統が過去に好成績を収めているか、格付けで高評価を得た枝肉の親であるかどうかといった“実績の連鎖”に基づいている。

市場は午前中から始まり、1頭ごとに電光掲示板に番号と価格が表示される。買い手はそれぞれの席に設けられたボタンで応札し、価格が上昇していく。セリは十数秒から数十秒というスピードで進行し、その間に値がつくかどうかが決まる。張りつめた空気のなか、買い手たちは静かに、だが鋭く判断を下す。セリ人の声に合わせて数字が上下するその光景は、家畜市場でありながらどこか金融市場のような緊張感さえ帯びている。

この市場には、大手の肥育農家、地元の生産者、そして遠方から訪れる業者など、さまざまな買い手が集まる。目的もさまざまだ。すぐに出荷しやすい体格の良い牛を狙う者もいれば、血統重視で将来の種牛候補を探す者もいる。また、繁殖農家のなかには自分が生産した牛が高値で落札されるのを見届けに来る人もおり、それはまさに努力と時間をかけた仕事が評価される瞬間でもある。

ただし、ここで高値がつくことがすべてではない。牛は生き物であり、育成の環境や与える飼料、ストレス管理、健康状態などによって成牛としての出来栄えが変わる。つまり、市場での取引価格は“期待値”にすぎず、肥育を終えて出荷されるまでの数年間が、真の勝負とも言える。

この市場の存在意義は、単に和牛の流通を担っているという点にとどまらない。厳格な血統管理と情報開示を通じて、品質の底上げと透明性を確保し、和牛ブランドの価値を長期的に守るという社会的な機能を果たしている点にある。神戸牛に代表される高級和牛ブランドの信頼は、こうした市場の現場と支える人々によって保たれている。 

市場の外では、地元の畜産農家が育てた子牛を見送る姿がある。出荷までの数か月をともに過ごした牛に声をかける人、落札価格に一喜一憂する人。血統や格付けといった数値の裏には、命と向き合う日々の労力がある。そのすべてが、月に一度のこの場所に集約される。

華やかなステーキ皿の裏側にある、静かで濃密な競りの現場。そこでは、和牛という文化を受け継ぎ、未来へと繋げていく営みが確かに続いている。市場で落札された1頭の牛が、数年後に「神戸ビーフ」として食卓に届く──その物語は、ここ但馬の一角から始まっている。