かつては国内消費が中心だった日本の和牛が、いまや“WAGYU”という国際的なブランドとして世界中で注目を集めている。その勢いは数字にもはっきりと表れており、農林水産省の統計によれば、日本産牛肉の輸出額はこの10年で10倍以上に急増している。主な輸出先は香港、アメリカ、シンガポール、タイ、台湾などアジア太平洋地域を中心に広がりを見せ、富裕層を中心にその需要は高まる一方だ。では、なぜ今、世界で“WAGYU”がこれほどまでに売れているのだろうか。その背景には、品質、文化、戦略、そしてタイミングという複合的な要因が絡んでいる。
まず、日本和牛の最大の強みは「サシ」と呼ばれる霜降りの美しさにある。脂肪が細かく筋繊維の間に入り込み、赤身とバランスよく分布した状態は、視覚的な美しさだけでなく、実際の味や食感にも直結する。低温でも溶ける融点の低い脂は、口の中でとろけるような滑らかな食感を生み出し、独特の香りとともに“とろける肉”という食体験を形成している。これは他国の牛肉にはなかなか見られない特徴であり、特にステーキや焼肉文化が浸透している国々では驚きとともに受け入れられてきた。
さらに、日本和牛は単なる肉質の高さだけでなく、「育て方」そのものにストーリー性がある。血統を厳密に管理し、個体ごとに識別番号を付け、出生地・生育地・飼育方法などの履歴を追跡可能にするトレーサビリティの体制は、海外の高級食材の中でも特異な水準を誇る。飼育環境にも細やかな配慮がなされ、飼料、水質、ストレス管理まで含めて“丁寧に育てられた牛”という信頼感がブランド価値につながっている。
このような品質に加え、日本和牛には“文化財”のような価値も付加されている。和牛をめぐる食文化は、日本料理とともに海外での評価が高まっており、「本物の和牛を食べること」が一種のラグジュアリー体験として認知されるようになった。とりわけアジア圏では日本食への信頼度が高く、富裕層やグルメ層のあいだで「日本で食べた味を現地でも楽しみたい」というニーズが拡大している。高級ホテルやミシュラン星付きレストランでも和牛が使われる機会が増え、WAGYUという言葉そのものが高級食材の代名詞になりつつある。
国としての戦略的な後押しも見逃せない。日本政府は農産物・畜産物の輸出を成長戦略の柱に据え、和牛の輸出解禁交渉を各国と進めてきた。2019年には米国への輸出が全面解禁され、同年以降オーストラリアやEU諸国への供給も拡大している。検疫・衛生基準の整備、輸出ルートの開拓、専門業者の育成などが官民一体で進められ、結果として、かつて国内市場に依存していた和牛産業が、世界市場を視野に入れる成長産業へと変貌を遂げた。
一方で、“和牛”をめぐる国際競争も激化している。オーストラリアやアメリカでは「WAGYUクロス(和牛交雑種)」が大量に生産され、“Japanese Wagyu Style”と称して販売されている例も少なくない。これらは正確には日本和牛ではないが、消費者の多くが違いを認識していないのが現実である。こうした市場の混乱を防ぐため、日本国内では商標登録やブランド保護の取り組みが進められ、「Kobe Beef」や「Matsusaka Beef」など、明確な定義を持つ地域ブランドが差別化を図っている。
輸出が急増する一方で、課題もある。生産量には限りがあり、需給バランスをどう保つかが今後の焦点となる。高級和牛は長期肥育が必要で、飼料や人件費も高く、短期的に供給量を増やすことが難しい。また、海外での管理体制やブランド維持の難しさ、価格帯の調整なども、持続的成長を図るうえでは乗り越えるべき課題である。
それでも、和牛がこれほどまでに“世界に売れる”理由は明快だ。ただ柔らかく、脂が乗っているからではない。血統と育成管理に裏打ちされた品質、食文化としての深み、ストーリー性、そして安全性や信頼感。こうした複合的な価値が結びついて、ひとつの皿の上に“特別な意味”をもたらしているのである。
今後、WAGYUという言葉が世界の食卓においてどれほどの位置を占めるかは、日本の生産者と輸出産業がどれだけ“本物”を守り抜けるかにかかっている。単なるブームでは終わらせないためにも、世界と日本をつなぐ一皿の向こうに、もっと深い和牛の未来が描かれている。