和牛が世界的な高級食材としての地位を確立するなかで、消費者や流通業者が求めるのは、ただ味や見た目の良さだけではない。安全性・出自・管理体制といった“背景”への信頼もまた、和牛ブランドを支える不可欠な要素となっている。この信頼を支えてきたのが、日本独自の「個体識別番号制度」であり、さらに近年ではブロックチェーン技術を用いた次世代の履歴管理も検討されはじめている。和牛業界が築いてきた“透明性”と、それがどのように進化し得るのか──いま、その最前線が静かに動き始めている。
日本では、2004年に施行された「牛の個体識別のための情報の管理及び伝達に関する特別措置法(個体識別法)」に基づき、すべての牛に対して10桁の個体識別番号が割り振られている。子牛が生まれた時点で耳標タグを装着し、その番号をもとに出生地、生産者、肥育地、と畜場、出荷日などの情報が一元的に管理される。これらのデータは**「家畜改良センター」のデータベースにリアルタイムで登録・更新され、誰でもインターネット上で照会が可能**という点において、極めて高いトレーサビリティを誇っている。
この仕組みによって、日本国内では「この肉がどこで、誰の手によって育てられた牛なのか」を正確に辿ることができる。つまり、和牛においては“履歴”そのものが品質の一部として扱われており、消費者にとってはそれが信頼の証明となる。一流レストランや精肉店では、この個体識別番号を表示したり、肉の部位ごとに情報を提示することで、差別化と安心感の提供を行っている。
しかし、グローバル市場に目を向けると、この透明性を維持するためのハードルは一気に高くなる。和牛の輸出先であるアジア・中東・欧米では、日本のような管理基盤が存在しないことも多く、個体識別番号の情報が“書類上の証明”としてしか流通しないケースがある。そのため、現地の販売者が任意に表示を省略・変更することや、模倣品が「WAGYU」と称して流通するリスクが依然として存在している。
こうした背景から注目されているのが、ブロックチェーン技術を活用した個体履歴管理の可能性である。ブロックチェーンは情報の書き換えや改ざんが事実上不可能な構造を持ち、記録されたデータは誰が・いつ・どの段階で更新したかが履歴としてすべて残る。この技術を用いれば、個体識別番号と紐づける形で、牛の出生情報から飼料の履歴、抗生物質の投与歴、出荷・と畜日、流通過程、さらには最終的な消費者への販売まで、すべての履歴を“見える化”した透明なトレーサビリティシステムが構築可能になる。
実際、国内の一部の自治体や生産団体では、試験的にブロックチェーンとQRコードを組み合わせた和牛流通の仕組みが導入されており、スマートフォンでコードを読み取るだけで、その肉がどこで育てられたか、どのような飼料で育ったかを確認できる仕組みが構築されている。また、輸出先の現地レストランと連携して、海外の顧客が英語や現地語で情報を取得できるシステムの整備も進められている。
このような技術の導入が進めば、“本物の和牛”を保証するための新たな国際基準となり得る。特に偽装が横行しやすい海外市場においては、証明書やブランド表示よりも、改ざん不能な履歴情報そのものの信頼性がより強く求められる。ブランド和牛を名乗るには、ブロックチェーンで登録された正式な個体識別情報を提示することが“当たり前”になる時代も、そう遠くないだろう。
一方で、このような次世代トレーサビリティの普及には課題もある。すべての生産者がスマートデバイスを導入し、情報を入力・管理するにはインフラ整備と教育コストがかかる。また、海外の販売業者が情報を正しく取り扱う体制も同時に整備されなければ、意味を持たなくなる。つまり、技術導入と同時に、業界全体の“デジタルリテラシー”の底上げが求められている。
和牛の価値は「美味しい」だけでは、もはや語り尽くせない。生まれた場所、育った時間、携わった人、たどってきたルート──それらのすべてが可視化され、信頼とともに届けられてこそ、和牛は世界で唯一無二のブランドであり続けることができる。個体識別制度とブロックチェーンが交わる未来は、その“信頼の物語”を誰でも読み取れる世界への第一歩なのかもしれない。