日本には「和のこころ」と呼ばれる価値観がある。調和を大切にし、互いに争わず、空気を読みながら静かに共に在ることを尊ぶ感性。その在り方は、日常の中のささやかな風景や所作の中にひっそりと宿っている。
たとえば一輪の花を床の間に活けるという行為。そこには華美な装飾ではなく、限られた空間に一瞬の季節を表すという気持ちが込められている。見る人は花そのものではなく、そこに漂う空気や、手をかけた人の心配りを感じ取る。その一瞬に漂う美しさが、まさに「和のこころ」が光る瞬間である。
旅の途中で訪れる古民家や寺院の庭にも、それはあらわれる。すべてを主張しすぎず、視線を誘導するように置かれた石や水の流れ、風に揺れる竹の音。そこにあるのは人工の技術ではなく、自然との対話によって生まれた調和のかたちである。
また、日本の美意識には「不完全を愛する」という考え方がある。焼き物のヒビを修復する金継ぎや、使い込まれた木の風合いに価値を見出す感性。新品であることよりも、そこに流れる時間や記憶を大切にする。その思想は、ものだけでなく、人の在り方にも通じている。
和のこころとは、すべてを言葉にしない。沈黙の中にある気遣い、目に見えないやりとり、音や形ではなく「気配」にこそ価値を見出す。その精神は茶道や書道、能といった日本の伝統芸術に深く息づいている。どれもが派手さよりも静けさを重視し、観る者に余白を与える。
旅を通じてこの感性に触れるとき、人は自分の感覚が静かに研ぎ澄まされていくのを感じるだろう。歩く速さを少し落とし、目に見えるものだけでなく、空気の温度や音の移ろいに耳を傾けるようになる。それは単なる観光ではなく、感性との対話である。
和のこころが光る瞬間とは、大きな出来事ではない。朝の光が差し込む畳の部屋、旅先で出された手作りのお茶菓子、鳥の声が響く山道。どれもが控えめで、けれど確かに心に残る。主張しないことが、かえって深く届く。日本文化の奥深さは、そうした小さな体験の積み重ねの中にある。
そしてこの感性は、海外の人々にとっても新鮮に映る。物や情報が溢れる世界の中で、何も足さずに美しさを見出すという考え方は、静かで力強いメッセージとなる。日本を訪れる人が「落ち着く」「安心する」と口にする理由も、きっとこの和のこころが伝わっているからだろう。
和のこころは、決して特別な知識や訓練がなければ感じられないものではない。むしろ誰もが、ふとした瞬間に立ち止まり、自分とまわりとのつながりを意識したときに、自然とその意味を理解するものである。
旅とは風景を巡るだけでなく、自分自身の心の景色を見つめ直す時間でもある。日本の中に流れる和の感性に触れることで、自分の中の静けさや優しさに出会う。そんな一瞬一瞬が、人生の記憶として深く刻まれていく。