「“アニメで日本語を覚えました”──外国人学習者の入り口」

「“アニメで日本語を覚えました”──外国人学習者の入り口」

「こんにちは」「ありがとう」「行ってきます」「バカ!」──これらの言葉を初めて聞いたのは、教室ではなく、アニメの中だった──そんな外国人の声が、近年ますます多く聞かれるようになった。 アニメは単なる娯楽コンテンツではなく、いまや世界中の日本語学習者にとって最初の“出会い”となっている。辞書や文法書ではなく、キャラクターの感情や日常の会話を通じて言葉に触れることで、自然と“生きた日本語”が耳と心に届いていくのだ。 ドラえもんから鬼滅の刃まで──時代とともに広がる教材...
「海外クリエイターが憧れる“ジブリの風景”──模倣からリスペクトへ」

「海外クリエイターが憧れる“ジブリの風景”──模倣からリスペクトへ」

深い森に差し込む柔らかな光。畳の部屋に流れる静かな時間。風に揺れる草原と、そこを走り抜ける少女の後ろ姿。スタジオジブリ作品に描かれる“風景”は、どれも静かで、やさしく、どこか懐かしい。そして今、この風景に憧れ、影響を受けた海外のクリエイターたちが、次々と自らの作品の中に「ジブリ的なるもの」を取り込もうとしている。 ただしそれは、かつての“模倣”ではない。ジブリが描いた“心の風景”へのリスペクトとして、文化や表現の枠を越えて丁寧に受け継がれ始めている。 「なにも起きない」が描ける贅沢...
「“コスプレ”が世界共通語になった理由──アニメがつなぐ人と国」

「“コスプレ”が世界共通語になった理由──アニメがつなぐ人と国」

今や「Cosplay(コスプレ)」という言葉は、英語圏でもフランス語圏でもアラビア語圏でも通じる“世界共通語”となっている。しかも単なる仮装ではなく、「好きなキャラクターになりきることで、他者とつながる文化」として、国境も言語も世代も越えて拡がり続けている。 なぜ“日本発”のこのスタイルが、ここまでグローバルな存在となったのか。そこには、アニメという共通言語と、キャラクターという“感情の橋”がある。そして今、コスプレは単なる趣味にとどまらず、文化交流・表現・共感を生む“場”へと進化している。...
「セーラームーンは永遠のヒロイン──90年代アニメの世界的リバイバル」

「セーラームーンは永遠のヒロイン──90年代アニメの世界的リバイバル」

「月に代わっておしおきよ!」この決めゼリフとともに世界中の少女たちの心をつかんだ『美少女戦士セーラームーン』。1992年に日本で放送が始まったこの作品は、90年代を代表する“少女向けアニメ”でありながら、いま世界的なリバイバルブームの中心に立っている。 海外では「Sailor Moon」として知られ、アニメ配信サービス、レトロファッション、音楽リミックス、そしてジェンダー議論の題材としても再注目されている。30年経っても色褪せないその魅力は、なぜこれほど多くの人の心に残り続けているのだろうか。...
「Netflixで広がる“アニメ世界地図”──日本から同時配信の衝撃」

「Netflixで広がる“アニメ世界地図”──日本から同時配信の衝撃」

かつて日本のアニメは、数年遅れで海外に輸出され、現地語に吹き替えられ、ようやく放送されるという流れが主流だった。しかし今、その構図が劇的に変化している。 Netflixをはじめとするグローバルストリーミングサービスの登場により、日本で放送されたアニメが、字幕付き・吹き替え付きで“同時に”世界中へと届けられる時代が到来したのだ。...
「顔なしは“現代人”の象徴?──海外の観客が読み解く千と千尋」

「顔なしは“現代人”の象徴?──海外の観客が読み解く千と千尋」

スタジオジブリ作品『千と千尋の神隠し』(2001)に登場する、不思議なキャラクター「カオナシ(顔なし)」。黒い影のような身体に白い仮面をつけ、初めは静かで頼りなげ、やがて貪欲に周囲を飲み込み始める──その不気味でどこか寂しげな存在は、観る人によって多様な解釈を引き寄せてきた。 とりわけ海外の批評家や観客の間では、カオナシを「現代社会における人間の鏡」「アイデンティティを見失った都市生活者の象徴」と読み解く声が少なくない。なぜ、ことば少なに漂う“顔なし”が、これほど普遍的な共感を呼んでいるのか。 仮面をかぶった“透明な存在”...